LOGIN【恒一視点】
休日に買い物というのは悪くない。
ただなぜか以前よりも楽しいと感じない。
そう思いながら恒一はバッグを見る美鈴を見た。
美鈴が足を止める。
「恒一兄さん。新作、やっぱり可愛いよね」
店頭のガラスケースに入ったバッグを美鈴が指さす。
装飾が多めで可愛らしいデザイン。
大学四年生の女性には幼いデザインだが、童顔のせいか年齢より幼く見える美鈴には似合うだろう。
「似合うんじゃないか」
「本当?」
疑うように美鈴が恒一を見る。
似合うことを証明してみせてと強請る視線。
恒一は笑い、店員を呼んでバッグを購入した。
美鈴が歓声を上げる。
店内にいた他のカップル、女性のほうが羨望の眼差しを恒一に向ける。
美鈴に腕を引かれる。
「あの人の彼氏ってケチなのかな?」
耳元で囁かれる美鈴の言葉に、恒一は女性の連れの男性を見る。
【恒一視点】店へ入るたびに店員は一瞬だけ戸惑ったような顔をする。だが、それはほんの一瞬で、すぐに営業用の笑顔へ変わる。違和感はあるものの、気にするほどではない。「いらっしゃいませ、一ノ瀬様」「一ノ瀬様、本日はどのようなご用件でしょうか」名前。他に客がいても自分を優先する接客。恒一は満足だった。(やはり一流は違う)接客の質が違う。恭しいと感じる店員の所作。言葉遣い。立ち居振る舞い。どれも洗練されており、彼らに接客されると自分が一流であると分かる。それが心地いい。.本当は違う。最初は恒一が実花と一緒ではないことに驚き、美鈴を見て『またか』と納得する。実花はいつもの紳士用品の店にいる。そこで待たせるつもりなのだろう。いつものことだ。そのようなことを思いながら店員は恒一と美鈴を見ていた。彼らの買い物は長く、店員たちは待たせている実花を気の毒に思った。だから、恒一たちの要求に優先的に応えていた。早く実花と合流させるために。ただ、それだけだった。◇◇◇「恒一兄さん」宝飾店を出たところで、美鈴が腕を絡めてくる。いつものことなので何も思わない。でも。「次は下着を見たいんだけど」下着。その言葉に、思わず生唾がわく。女性経験がないわけではない。それなのに妙な、焦りのようなものを感じる。「好きに見てくればいい」「一緒に来て?」美鈴は少しだけ唇を尖らせ、甘えるように見上げてくる。一人で行かせるべきだ。父親からも、実花との婚約がまだ決定ではない以上、実花が不快に思う行動を避けるべきだと言われている。(しかし…&h
【恒一視点】休日に買い物というのは悪くない。ただなぜか以前よりも楽しいと感じない。そう思いながら恒一はバッグを見る美鈴を見た。美鈴が足を止める。「恒一兄さん。新作、やっぱり可愛いよね」店頭のガラスケースに入ったバッグを美鈴が指さす。装飾が多めで可愛らしいデザイン。大学四年生の女性には幼いデザインだが、童顔のせいか年齢より幼く見える美鈴には似合うだろう。「似合うんじゃないか」「本当?」疑うように美鈴が恒一を見る。似合うことを証明してみせてと強請る視線。恒一は笑い、店員を呼んでバッグを購入した。美鈴が歓声を上げる。店内にいた他のカップル、女性のほうが羨望の眼差しを恒一に向ける。美鈴に腕を引かれる。「あの人の彼氏ってケチなのかな?」耳元で囁かれる美鈴の言葉に、恒一は女性の連れの男性を見る。目が合う。男性が気まずそうに目をそらした。勝った。自分のほうがやはり上だ。「次は服を見にいくか。欲しいもの、あるんだろう?」「恒一兄さん、最高!」美鈴が嬉しそうに笑う。そんな姿は可愛いと思う。可愛いのだが。(……何か違う)恒一は胸の奥に妙な物足りなさを覚えていた。満足できない。視線を先ほどのカップルに向ける。女性はバッグを指さし、男性に強請っている。男性は無理だと言いながら困っている。(格好悪っ)そんな男に勝てても嬉しくない。恒一は不満だった。だが、不満であることは分かるのに、何が不満かが分からない。新しくできた商業施設。話題性もある。明るく可愛らしい美鈴は男たちの目を引き、連れている自分を妬まし気に見る。恒一
日曜日の朝。いつも通りの時間に起きたものの、実花は顔を顰めた。昨夜はほとんど眠れなかった。目を閉じれば思い出す。外灯に照らされた光也。リボンを解かれたときの感触。 『礼なら、これをもらっておく』「……もう」実花は枕へ顔を埋めた。朝になっても胸の高鳴りは治まらない。.朝食を終え、自室へ戻っても落ち着かなかった。本を開いても頭に入らない。紅茶を飲んでも気持ちは静まらない。窓の外を眺めても、思い出すのは光也の横顔ばかりだった。(このままでは駄目だわ)昨夜は刺激が強すぎた。気分を変えよう。そう思った実花は、外出の準備を始めた。◇◇◇「買い物?」実篤が新聞から顔を上げた。「はい。少し見て回りたいと思いまして」「護衛をつけなさい」即答だった。実花は苦笑する。「大丈夫です。いつもの所なので」藤宮家が昔から利用している百貨店。顔見知りも多い。「西野を呼べばいい」実篤は懇意にしている外商を呼ぶように言う。「いろいろ見て回りたいのです」「しかし」「すぐ帰ってきます」何度か説得すると、実篤は渋々頷いた。「何かあればすぐ連絡するんだぞ」「はい」実篤の心配に心が温かくなり、実花は笑顔で家を出た。.日曜日の百貨店は賑わっていた。ショーウィンドウには季節を先取りした服。化粧品売り場から漂う香り。行き交う人々の楽しそうな声。(こういうのも楽しい)西野が選んでくれるものは、いつも間違いがない。。欲しいものを、実花に似合うものだけを用意してくれる。
「見てみろ」光也に呼ばれ、実花は首を傾げながらモニターへ近づいた。「え? 私が?」「いいから」珍しく光也は面倒さを隠さない顔をしている。実花は不思議に思いながら画面を見る。そして。「お父様!?」思わず声が裏返った。エントランスに映っていたのは実篤だった。腕を組み、明らかに機嫌が悪い。しかも一人ではない。後ろには高峰と、なぜか航までいる。「な、なんで!?」実花は慌てて振り返った。「どうしてここが分かったんですか!?」光也は額を押さえながら、実花のバッグを指さした。「あれだ」「何です?」「君のスマートフォンだ」「スマートフォン……あ」「そうだ。あれの位置情報」実花は固まった。実花のスマートフォンの位置情報は藤宮家のセキュリティシステムに共有されている。「完全に失念していた」光也がため息を吐く。実花は目を瞬いた。いつも何でも覚えていて、何でも見抜いてしまう人が。失念。「東国さんでも忘れたりするのですね」思わず口から零れた。光也が眉を上げる。「当たり前だろう」「そうなのですけれど」実花は少しだけ笑った。なぜだろう。その言葉に安心した。実花から見て、光也は完璧な人だった。何でもできて。何でも知っていて。失敗なんてしない人だと思っていた。でも違う。忘れたりすることもある。(もしかしたら何か失敗だって……)そんな当たり前のことが妙に嬉しかった。◇◇◇数分後。二人はエントランスへ降り
「東国さん!?」驚く実花とは対照的に、光也は平然としたまま脱いだシャツをソファの上に置く。背筋がしなやかに動き、鍛えられた上半身だと分かる。それが露わになって目の前にあり、実花の思考は停止した。「え?」それしか言葉が出ない。光也はそんな実花を見て首を傾げる。「なんだ?」「なんだ、ではありません!」思わず声が大きくなる。「なぜ脱ぐんですか!」「汗をかいたからだ」即答だった。あまりにも当然のように言われて、実花は言葉に詰まる。「汗を、かいた……」「日本の高温多湿は苦手だ」光也は不快そうに髪をかき上げた。確かにスポーツクラブへ行き、そのまま野球観戦をして、今ここまで来ている。汗をかいていても不思議ではない。だが。「だからといって、ここで脱ぐ理由にはなりません!」「なるだろう」光也は心底不思議そうだった。「君は服を着たままシャワーを浴びるのか?」「浴びません! そうじゃなくて、ここで脱ぐのはおかしいって……!」実花は顔を真っ赤にした。男の人というのはこんなにも無防備なのだろうか。いや、違う。問題なのは光也だ。「破廉恥です!」思わず飛び出した言葉に、光也が沈黙した。そして。「……破廉恥?」「そうです!」「久しぶりに聞いたな。いや、読んだか。聞くのは初めてだ」光也が実花を見る。その目にはからかうような光が見える。「君の教育係は、もしかして江戸時代の人間か?」「違います!」「本当に?」「違います!」光也は肩を震わせた。明らかに笑って
「もっとこっちにこい」肩を抱き寄せる腕の力が強くなった。「ひゃっ!?」実花の肩が跳ねる。「東国さん!」「危ない」「……え?」「車道が近い」光也の言葉に、実花は歩道と車道の境を見る。遠い位置にある。危険とは思えない。しかし、光也は平然としていた。「歩きながらあちこちを見るな。危ない」そう言われると反論しづらい。だが距離が近い。近すぎる。エントランスへ向かいながら、実花の頭は混乱していた。男性の家。夜。二人きり。それらが意味することくらい分かる。実花も子供ではない。恋愛小説だって読む。恋愛ドラマだって知っている。何よりも前の生で結婚していて、男性経験もある。(落ち着いて)しかし、落ち着こうとするほど落ち着かない。自分でも何を考えているのか分からなくなる。エレベーターへ向かう途中で、光也がふと実花を見た。「何を考えている」「いえ……」言えるわけがない。それに意地が悪い。「何もしないぞ」やはり。光也は実花が何を考えていたかなど察していた。「え」光也は呆れた顔をしていた。実花は赤くなった。見透かされている。「俺は君を口説くつもりだが、襲うつもりはない」「そ、そうですか」(え?)「口説く!?」「何を驚いている。当たり前だろう」「え?」展開が早いのか。光也の言葉が分かりにくいのか。実花は混乱した。そんな実花に。「だから安心しろ」安心しろと言う。混乱させている
「誤解がないように申し上げますが、私にとっても藤宮家の娘であることは誇りです。藤宮の品格を落とすつもりなど、毛頭ございません」実花は静かにそう告げた。その声音には反抗的な響きはない。ただ、真っ直ぐな意思だけがあった。藤宮の箱庭で生まれ育ち、藤宮の価値観だけを教え込まれてきた。それしか知らないと言われれば、その通りだ。だが、だからこそ実花にとって藤宮家は世界の中心だった。格式、伝統、誇り。幼い頃から耳にしてきたそれらを、実花は確かに愛している。否定したいわけではない。捨て去りたいわけでもない。ただ――そこに“自分”を含めたいだけだった。「藤宮実花として立ちたいと言っても、私自身、私
扉が開いた瞬間、空気が変わった。それまで室内に漂っていた柔らかな熱が、一瞬で冷え切る。重く、鋭く、抗うことを許さない圧が部屋の中へと流れ込んできた。「実花」低い声。その一言だけで、使用人たちの背筋が一斉に伸びる。まるで空気そのものが命令を受けたかのようだった。藤宮実篤。藤宮グループの頂点に立つ男は、いつだって“場の支配者”として現れる。誰かと会話をしていても、笑みを浮かべていても、その場の空気は最終的に彼のものになる。逆らうことを考える前に、人は自然と従う。そういう種類の男だった。実篤の視線がまっすぐ実花へ向く。そして次の瞬間、その目がわずかに見開かれた。「……そ
「お嬢様、今日は髪をまとめて、首元を見せてみたらいかがでしょう」その一言は、何気ない提案のようでいて、実花にとっては奇妙な重みを持って響いた。前世の記憶が一瞬でよみがえる。一ノ瀬恒一は、実花が髪を上げることを好まなかった。首筋が露わになることを「下品だ」と言い、社交の場で他の女性が髪をまとめているのを見ては、どこか見下すような言い方をしていた。その言葉を、実花は何度も正解として受け取ってきた。だから彼の前で一度たりとも髪を上げたことはなかった。それが「好かれるための正しさ」だと信じていたからだ。だが今、その記憶は違う形で胸に残っている。「……いいわね」返事はすぐに出なかった。
使用人が用意したドレスを、実花は静かに見下ろしていた。白に近い淡紫色。光の当たり方によってはほとんど白にも見えるその色は、藤宮家の「清楚な娘」であることを象徴するために選ばれたものだった。上品で、柔らかく、誰から見ても好印象を与える色。前世の実花はこの色を疑うこともなく、むしろ一ノ瀬恒一の好みに合うだろうと信じて、少し誇らしげに選んでいた記憶すらある。彼に選ばれるための自分を作ることに、何の疑問も抱いていなかった。だが今、その淡い紫はまったく違う意味を持って見えていた。それは「清楚」の象徴ではなく、「従順」の象徴だった。良い娘であること、良い妻になること、それらの言葉に守られているよう